ギャルゲとかエロとか固体とか

遊びに加わるとき『混ざる』という言葉をして表す事に象徴されるように日本の社会はリキッド型、すなわち個人を液体として攪拌してしまう、みたいな事を森博嗣が云ってた気がする(うろ覚えー)。で、欧米は個人個人があくまで固体のソリッド型であると。
で、この観点から考えたときのエロスってちょっと面白い。というのも池波先生の剣客商売16時間ぶっつづけで読んでるんだけどこの本のエロスがあれな、リキッドなのだな。安部公房の『砂の女』のイヤな部分が緩和されつつも本質は同じと言えば想像出来るだろうか。
リキッド型のエロスにはえてして西洋の原理である<主観――客観>で捉えるべきではなく、そこにあるのは主観なのやら客観なのやら……曖昧な境界は名前すらつかず漂う。
それは<リキッド―(茫洋)―象徴である前記号>であり、現在のエロゲに極点を迎える<ソリッド―(主観――客観)―記号差異>にうまく対置される。