きると

買う。ていうかやる。カーネリアンの絵につられて(死
出来はまあ予想通りというか予想通りというか。ふつー。決して良い意味じゃない感じにふつー。
なお、全てのストーリーが『主人公と女の子はずっと好き同士です』的な終わり。当然僕の好みではない。しつこいほどにしつこいほどに本当にしつこく云っているが、観念化されて固着してしまった感情を僕は憎む(と云いながらも実際これを書きながら少し笑っているのだがな
ちょっと捻った見方をすればこれは象徴界(この場合、社会等の本来は誤読の意味でオーケー)ががっつり上手く言ってる時は全く問題はなくそれはシステムのための物語になりうるわけだが(例えば神話はそうやって出来た)。しかし、それが瓦解している以上、それは瓦解を浮かびあがらせる違和感以上の意味を持たない。例えば学校っつーシステムとか、そういうヤツね。瓦解したが型である、というところに面白さを感じなくはないけどもね。