私と結婚しなかったら死んでやる

僕は勿論こう来られたら笑顔で「死ね」と云うタイプの人間ですが……とか平時には言いつつも実際なったら結構困った末に逃げるタイプ(引越しとかするタイプな)だろーとか思う(最悪)
見捨てるとこだけはちゃんと一貫してるなぁ(蝶最悪。
しかし、実際こういう例は良くある事で、皆さん口だけなのですよ。『倫理的に禁止が唱えられている科学実験を貴方がもし実行可能な立場にあった場合実行出来ますか?』とかの質問に対してちょっと頭の良いクールぶった子なら『僕ならしますよ』と自由すぎる私的倫理の命ずるまま云うのだけれど、そういう子たちの大人版である教授どもが実際には(社会倫理にがんじがらめられて)出来てないんだから実証はもうするまでもないわけで。
と、いかんいかん。そんな事が云いたいんじゃなかったぞ。
そう、『私と結婚しなかったら死んでやる』の方な。
つまり『私と結婚する』or『死ぬ』は論理的に形式的真理のカタチをとっていないわけです。この二つを入れた形式的真理を導入するなら『私と結婚して(私は)死なない』『私と結婚して死ぬ』『私と結婚しないで死なない』『私と結婚しないで死ぬ』この四つでやっと形式的真理になるわけです。
勿論、この類を云う相手にこんなこと言っても通じるわけないんだけどね。
いや、だから、当人が自身への規則として『私と結婚する』or『死ぬ』のニ択を強いているからね。そんでもって、困ったことにこの論理を薄々感づきながらも人の良いバカはこんなん言われて断ってついでに云ってきたヤツが死んだら自分のせいだって云うわけですよ。僕はそういう人の良いバカが実は許せなくってね。
そういうヤツ、一言で云って甘やかし過ぎなんだよね。
他人を?
いやまさか。自分をですよ。
その裏にあるモノを一言で切って捨てれば『人間の弱さ』
即ち、自分はそこまで『弱くないだけ』
そう、『私と結婚しなかったら死んでやる』という他者はそこまで『弱かっただけ』
理解って偉大だねー
この腐れナルシストが。まあ勿論、他我問題現象学的にやってきた必死さなど一足飛びするくらい、他我は既に自我だがね。心理学的象徴界のその作用は善かれ悪しかれ作用するのですよ。ていうと、もう説明めんどいからしないけど。
ああ、分かってる。まずは論理からなんだ。プライドとかも『人間』なせいで持っちゃってたりするから余計大変なんだけどね。……てまて、なんかこれ、前も似たような事云った気がする。