例えば非宗教的である自身は結局のところなにがしかの他の宗教に頼っている(勿論広義な意味で、だ)。メタレベルで見るという事は実際のところ、一見以前より上位の立場でありながら主体的には宗旨替えに過ぎない。脱構築へ至る文脈も案外そんなとこなんだろうな、と例によって超強引に悟った気になってみた。つまり、絶対的に自由になれない、という事は方法論的にはずらす以外の手法がない、という事であろう。うーん、我ながら5秒でできる哲学って感じだな。死んだほうが良いな。
まああれだ、人間って未知のとこを切り開くか、既知のところを磐石にするかの二択しかないよね。