要するに

フルーツバスケットのアキトは父を象徴し、透は母を象徴していたわけだったのが、17巻で女と母に構造が変わってしまったわけだ(女権社会における女では無論、ない。というかその可能性を摘み取るファクターとしてシグレが位置する)。そして母であるというより今日子の死によって母になってしまった透にも恐らくは何がしかの魂の転向があるだろう、と勝手に推察する(事実、キョンキチの前では女になりつつあるし、その辺はこれまで張った伏線を適当に使うんだろうなぁ)
うーん、やっぱり話が収斂しそうにないこれまでの感じのほうがよくね?
ていうか父とか母とかふつーに心理学っぽく使ってるけど、僕基本的に心理学は食わず嫌いです。なんかほら、パラノイアのマザーファッカーとかふつーに自己分析結果とかででてきそうじゃん、いやしらんのだが。