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ちょっとだけやる。ところどころが筋的に突発的な印象があってぶっちゃけ変。ディレクターというか、総括する立場のヤツはなにをしていたのだと文句を云いたい。
しかしそれなのにキャラ魅力がない事もなく、筋とキャラクタが実は全く別のものであることをいやがうえにも知らしめてくれます。
つまり悪い意味でキャラ魅力がある。……逆にスゲエけどな。
そんな中で魔法兵器少女シナリオは筋としても破綻してない方だと思われます、ほどほどに好き。
基本的に全キャラ竹を割ったように無策なので(恐らくライタがノリと感性で会話を書くタイプなんだと思う)世界観はあっても伏線はない臭い。


……妹シナリオで泥棒と主人公たちが特になんの衝突も諍いもなく、なんとなくノリで仲良くなる辺りが流石にどうかと思います、押忍。あまつさえ泥棒の下着洗う段階で盗人に追い銭であります、押忍。

ef

終わる。面白かった。演出とかギャルゲーでこれをやっちゃうのかどんだけ金かかってんだ? とか思ったがそれはそれとして。
まあ、あれですね、後編期待ですね。というか、後編次第では相当化ける香りがするよ……あれ、なんかあんま面白い事云ってないな。……まあいいや

当たり前だけど

「自己分析」は時に「自己弁護」であり「自己規定」になる。
例えば「私ってイヤなヤツだよね」という振る舞いには往々にして「私はそんな風に自己反省できるくらいに本当はイヤなヤツではないんすよ」という真意が宿る。
ま、大体無自覚なんだが。「自分ってイヤなヤツなんすよ」「ほんと、しんどいっすー」で終わるからな。というか、自覚するとこの気持ち悪さにとてもじゃないが「自己分析」なんぞやってられんだろう。「自分を好きになる」とかも構造的には一緒。
結構キモいぞ、ぶっちゃけ。
まあ要するになにが云いたいかと云えばそういう類の狡さってのは、どうなんだろうねとかそういう事ではなくefの宮村みや子が僕はとても嫌いですというそれだけの事を云いたかっただけだった。ま、キャラを嫌いにさせるってのは、結構大事な事だけどね。


文学における自分を見る第三項即ち主体は言語ゲームの中でいつでも何処でも誰にでも宿り得るし事実今ここで俺に宿っているが、それじゃあもうダメなんじゃねえの? なんて事を思うのです。別にもう世界とか良いよ。もう恋愛とかももう良いよ。そういうのも別に嫌いじゃないけどよ。そんなゲームもう良いよ。……パッと聞き滅茶苦茶ネガティブなのに、個人的には酷くポジティブなのはどうしてだろう。

笑い

の領域における分類。


1,制度(社会)内での笑い
日常、言語ゲーム、コミュニケーション可能なものの総体の中で生じる。ダイアログで生じる面白さは往々にしてこのカテゴリ内に留まる。
2,制度(社会)と制度の外部の衝突による笑い
お笑い芸人の志向は概ねここにカテゴリされる。ゆえに、チュートリアルは面白かった(故に、に成ってねえ)。そしてそうであるがゆえに、これは制度(社会)に回収される
3,制度外部に突き抜けてしまう笑い
これは一歩間違うと笑いにならず意味不明になる。ファミ通町内会が笑いになるまでどれくらい時間がかかったのか? という問いがその本質を突いていると思う。
往々にして笑いは<社会>から<世界>まで突き抜けず閉じてしまう構造を持つ。

メイでぃ!

やる。……地雷だよ。……良いんだ、俺は青山ゆかり声+ツンデレ系面白髪のメイドさんキャラのシナリオやりたかっただけだから。ええもう、それがどんなに薄くてもね、フフフ。敢えてツッコンだとはいえ、本当に地雷だなんて、フフフ。……速攻アンインスト